体力が全然ない。
年々どんどん体力がなくなっていく気がする。
いつからこんなに体力がなくなったんだろう。
ほんの四、五年前までは朝まで寝ずに遊ぶことなんて余裕だった。接客業に就いていて、一日中立ち仕事をしていたし、休みの日も割と広範囲をウキウキしながら出掛けていた。
今は土日休みの仕事に就いているけれど、どちらか一日は一日中家に居たい。なんなら土曜日に外に出たり人に会ったりして、日曜日はしっかり休みたい。
この一ヶ月は休日に毎週予定が入っていて、楽しかったけど、やっぱりどこか疲れている。
人と会うのは好きだ。
人と話す事で自分の考えを整理出来るし、人の話を聞く事で自分の中にはなかった新たな視点が芽生えることがあるからだ。
一時期私は無職で精神的にかなり落ち込んでいて、外部からの刺激を一切断ちたくてずっとひとりで家にこもっていた。自分以外のすべてが輝いて見えて、そのまぶしさが私のコンプレックスを突き刺して、這い上がってこられなくなりそうだったから、静かな谷で身を守る事に徹していた。
そうしていると、考え方がどんどん頑なになっていって、以前は気にならなかった事が気になりだしていく。仕事を頑張っていないと負け、プライベートが充実していないと負け、すべてにおいて私は誰かに負けているという酷い思考に陥っていた。そもそも人生は勝ち負けではない。誰との戦いなんだ。分かっていたけど寝ても覚めてもこの無意味な考えから抜け出す事が出来なかった。
今は谷から這い出てきて、なんとか生活をやっていこうとゆっくり歩みを進めているところだ。
収入はかなり低いし、この歳で親の脛を齧っているし、世間的に見ると全然胸を張れる状態ではないかもしれないけど、以前よりずっと心が凪いでいる。あ、なんか大丈夫かも、と思えるようになったのはここ最近のことだ。
でもやはり、体力が尽きてくると暗い自分が舞い戻ってくる。極端な白黒思考になってしまう。
全然そういう意味で発した言葉じゃないのに、意図のある行動じゃないのに、無駄にマイナスな意味に捉えて寝る前に悶々と考え込んでしまう。
体の疲労と精神が直結しすぎじゃないかと自分に呆れる。
自分の特性は分からないようで分かっているので、なるべく凪で過ごすためにも、無理なスケジュールを組まず、たまには一日中ダラダラして、自分を振り返る日を作っていこうと思う。体力の温存だ。
四十代の友人が、体力があって健康であれば大体楽しいという事を体現しているので、私もそうなっていきたいけど、体力ってどうやって高めるんだっけ。そもそも私は体力だけじゃなくて、起伏をできるだけ抑えた冷静な心を保てるようにした方が良いのかもしれない。
以前よりはだいぶ苛烈さがなくなっているという自覚はあって、大人になってから知り合った友人たちにも前よりも優しくなったね、柔らかくなったね、と言われるようになった。前はどれだけ聞き難い愚痴を周囲にぶつけていたんだと反省した。私の愚痴は文字通り呪詛だ。負のエネルギーを撒き散らす。KとMとの三人のLINEグループを見返した時、二十五歳の私が、上司も後輩もみんな殺したいと書いていた。怖すぎる。友人とのLINEでそんな事を書くなよ、と五年後の私は思う。
この良い状態を保っていたいけど、今年はおそらく環境の変化がまた待っている。
その時のためにもいろんな意味で体力づくりをしていきたい。具体性はないけど、ベストフレンド二人が見ているここにて決意表明だ。
また暴れ始めたら、いつも通り遠巻きに笑っていてほしい。
↑凪の海のようにいたい。え?
Mへ
いつ島に帰ってくんねん。
Kへ
四月五月のタロット占い、当たっていたか教えてね。